渋谷陽一とオジー・オズボーンの死が示す虚実の境界線【近田春夫×適菜収】
【近田春夫×適菜収】新連載「言葉とハサミは使いよう」第8回
■オジー・オズボーンと虚実の境界線
適菜:オジー・オズボーンも死にましたね。最後のライブをやったばかりなのに。
近田:オジーとかは全く聴いたことなのよね。メタル系で、唯一ライブを観たのがバイオハザードかな。この人たちの技術力はたいしたものだったことを覚えている。
適菜:高校生のころ、K君という仲がいい友達がいて、彼の影響でヘビーメタルを聴きました。今もあるのか知りませんが、『BURRN!』というヘビーメタルの雑誌があって、たまに立ち読みしていたのですが、まさに「ファンの視点」の記事ばかり。ライターがひたすらジューダスプリースト愛を語るみたいな地獄のような雑誌でした。
近田 うん。
適菜:中学生の頃、山梨県にFM富士というラジオ局ができて、平日の夜、3時間くらいの「THE ROCK」という番組がやっていました。細かいところは間違っているかもしれませんが、月曜日担当が和田誠で木曜日担当が伊藤政則。つまり、週に6時間、山梨県にかなりの量のヘビーメタルが投下されたわけで、甲州人の気質に影響を与えたかもしれません。
近田:受ける〜🎵
適菜:ヘビーメタルはすぐに飽きてしまったのですが、金曜日担当の大貫憲章さんの紹介する曲は、面白かったので、金曜日だけ聞いていました。
近田:大貫は何ももの考えてないからさぁ。俺はそこが好きなんだけど。
適菜:昔、どこかで書いたのですが、ヘビーメタルはプロレスの世界に近いですね。
近田:あ、そうよ。正則とかまさにそういう視点じゃんさ。『BURRN!』はみんなブルルン!とかいってバカにしていたよ。
適菜:『BURRN!』はディープパープルの『Burn』にちなんでいるそうです。当時、ディープパープル信者の酒井康が編集長で。これも昔書いたことがあるのですが、私が好きな話がひとつあって、伊藤政則が「お前はいつまで変な長髪で、変な音楽を聴いているんだ」と父親から叱られたらしい。お父さんは真っ当な人みたいです。でも、伊藤が出した結論は「でもいいんだ」と。開き直ったらしいです。
近田:メタルは信仰だね。俺にはファンとか〝推し〟といった感覚ないからさぁ。
適菜:そういう狂信的になっている人を観察するのは面白いですね。
近田:そこよね.面白いのは!
適菜:ライブを見て失神したり。マイケル・ジャクソンのコンサートで、女性ファンが興奮して失神して運ばれていく動画があるのですが、苦労してプラチナチケットを手に入れて、失神してなにも見ないで自宅に帰るというのも、人間って面白いなとは思います。
近田:俺もそんなピュアな人になってみたいですよ。
適菜:失神バンドのオックスってありましたよね。私はリアルタイムではありませんが。
近田:あれ、営業失神だよ。
適菜:営業失神って、いい言葉ですね。昔の映画や小説で、たいしたことではないのに、貴婦人がふらっと失神するじゃないですか。娘が彼氏をつれてきて、「まあ」とか言って失神するパターン。昔どこかで読んだ話だと、失神の練習をしていたらしいです。
近田:ショックで気を失うって設定。白人の女の人ってそれで憧れたかも。
適菜:オックスの場合は、本当は失神していなかったのですか?
近田:嘘じゃなきゃ毎回失神は無理でしょ!
適菜:ファンは失神していたみたいですが。
近田:客がつられて失神するのってカルト宗教のお約束よね。だから、営業失神と、そのステージを観てトランスになっちゃうのはまた別なのかもね。
適菜:JBが毎回ステージで倒れるようなものですね。
近田:そうそう! まさにそれ!
適菜:演技を真に受けるファンもいます。プロレスを本気で戦っていると思っている子供がいるように。オジー・オズボーンが悪魔崇拝だとか、ああいうのも同じですね。
近田:虚実がよくわからない感じに興奮する人が多いんだよ。本当に思えることと本当は全く別なのに。トランプがReality番組で人気だったのもなんかわかるよね。
適菜:その境界があやふやになってきた。「ラブアタック」の「珍キャラ」百田尚樹が国会議員になったり、迷惑系ユーチューバーのへずまりゅうが市議会議員になったり。昔、私は「安倍晋三は政界のへずまりゅう」と書いたけど、ホンモノが政界に入ったわけで、リアルがフィクションを越えてしまった。
近田:事実は小説より奇なりという言葉がある。現実はSFを超えたって俺も言っているのよ。
適菜:ジョージ・オーウェルの『1984』に似てきましたね。仲間だと勘違いしていた奴が、真の敵だったり。
近田:オルダス・ハクスリーの『すばらしい新世界』とか。やっぱ、フィリップ・K・ディックが描いていた、未来は馬鹿馬鹿しいものになるって予見が一番正しかったのかも?
適菜:SFだけではなくて、いろいろな人が大衆社会の崩壊を予言していましたが、次々と現実になってきましたね。